コピペ探訪〜阪神大震災コピペの謎を追え(追記)

多くの方にRTや言及いただいたようでありがとうございます。一年前のこととはいえ色々調べて書いた甲斐があったというものです。ただ、いくつか補足しておいたほうがよいことがあるように思えるので追記しておきたいと思います。


まず、このシリーズのキモ(スタンス)についてです。

私はこの辻元氏の阪神・淡路大震災をめぐるコピペについて、現時点ではデマと思っていますが、断定できるほどの根拠があるかと言われれば難しいと思います。というのも、この検証は状況証拠の積み重ねであり、ピースボートが配布したデイリーニーズ全てを検証したわけでもなく、ましてやそれ以外の場所での言動など検証のしようがないからです。

ひとつの参考としてネット上で発見したピースボート発行のデイリーニーズの画像をアップしましたが、「自衛隊〜」の呼びかけはこれ以外の号に掲載されていたのだと言われてしまえば、私は反論することができません。

しかし、決定的なことは2009年に至るまで、阪神大震災時の社会党や辻元氏の対応・言動を揶揄する言説のなかでさえも、「自衛隊から食料を〜」という件に触れたものはないということでしょう。このエピソードはここ2年の間に爆発的に広まった新しいエピソードということになります。

そこで1年前はgoogleで見つけることができなかったソースを新たに補足しておきたいと思います。

まずは「miracleさん+BerryGarden」というブログの2006年7月24日付の記事「阪神大震災! そのときプロ市民は」です。(http://miraclemiracle.seesaa.net/article/21344691.html)。

これは「(都議会議員初鹿あきひろ先生応援サイト)mumurブルログ」(http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50572465.html#comments)の同日付の記事「美智子は恥を知れ!!!」に寄せられたコメントを抜粋したエントリーです。
ここでは以下のようなコメント、書き込み、記事が引用されています。

阪神淡路大震災のとき、辻元清美率いるピースボートが政府批判と自己宣伝のビラ配りをしてヒンシュク買ってましたね。
被災地に救援の食料一つ持たずに印刷機だけ持ち込む神経が判らない。
清美は恥を知れ!
Posted by モンジロ at July 24, 2006 22:51

辻元清美がばら撒いたビラは「デイリーニーズ」というものです。神戸市長田区を中心に、あちこちの避難所で配られました。
「被災者の声」と題して独自の政府批判を展開しています。
朝日新聞の投稿欄と同じで、「被災者の声」と言いながら自分達の政治的主張だけが書かれています。
迷惑をかけることはあっても何の役にも立たないビラ。民衆の不幸に便乗したサヨク政治。人々の不幸を政治的にもてあそぶハレンチな行為。
辻元清美は恥を知れ!
Posted by モンジロ at July 24, 2006 23:08

8年も

あの阪神淡路大震災があってからもう8年も経つそうです。あの時村山でなければといまでもよくいわれます。あのプロの市民運動家であった辻元清美は、ピースボートを率いて地震で崩壊した神戸に印刷機を持って乗り込み、被災市民を救済するのではなく、ミニコミ誌「デイリーニーズ」を刷ってばらまき自己宣伝と政府批判をくり返したそうです。(その時の政府の最高責任者が後にてめえが属する社民党だったとは笑えます。)
そういえば、あの筑紫哲也阪神淡路大震災で、現地で「まるで温泉場のようです」と戯けた事をいっていました。

別冊宝島Real『まれに見るバカ女』より抜粋

阪神大震災では、若者たちのボランティア活動がクローズアップされた。救援物資をいっぱいに詰めたリュックを背負って、不通となった鉄路を黙々と歩む若者たちの姿に、常日頃「近頃の若者は…」と嘆いていた大人たちは心を動かされた。そんな純朴な若者たちを尻目に、ろくに救援物資も持たずに印刷機だけを持ち込んで、自己宣伝と政府批判のビラを撒き始めた連中がいた。それが、辻元清美率いる自称・市民団体「ピースボート」である。
彼らが被災地でばら撒いたミニコミ紙『デイリーニーズ』には「国は地震のあった17日付けで公庫の返済分をしっかり引き落としよった」などという「被災者の声」が載ったが、それを読んだ多くの被災者が口先ばかりの辻元達にインターネット上で憤りの声を上げた。

ここから明らかなのは、2006年段階では辻元議員を揶揄するのに「自衛隊」の件を持ち出す人はいなかったということです。ここで取り上げられているのは「政府批判」と「ピースボートの宣伝」についてのみです。

また、2008年1月17日付けのブログではこのような記事も見受けられます。(http://blogs.yahoo.co.jp/dais729sofsof/20402790.html

阪神大震災から13年、感謝される集団と役に立たないクズ    

ピースボートhttp://www.peaceboat.org/index_j.html単なる旅行会社でも、真の平和や友好を願って活動するNGOでもなく、極左イカレタ集団、プロ市民団体です。このイカレ集団立ち上げに奮闘したのがご存知「辻元清美」であり、その上官が震災当時のボンクラ総理「村山富市」。ポスターに写りこんでピースボートを宣伝しているのが震災であちこちから炎や煙が上がっているのを上空ヘリから「まるで温泉場の様であります」と呑気にレポートし激しく顰蹙を買った筑紫哲也。人々が逃げ惑い、又建物の下敷きになって一刻を争う時こやつらは何の役にも立つどころか、辻元清美にいたっては、被災地に印刷機を持ち込みあろうことか「ピースボート」のパンフレットを印刷し、配り、宣伝しまくったというのですから、外道この上ないクズなんです。日頃「社会のクズ」と言われている暴力団山口組でさえ、近隣の住民に飲料水を提供し、長蛇の列ができ、いかつい顔の兄さん方が、汗してる時にです。くしくもそんな1月17日の今日、こんなポスターを見つけてしまい、「フンッ、世界一周148万円?沈没せい!」と思ったのでした。

ここでも触れられているのは「震災の現場でピースボートの宣伝をした外道」としての辻元氏です。「自衛隊の援助を否定する外道」としての辻元氏ではありません。やはり2008年まではそのような文脈が持ち出されていることはないようです。

そんな中、一年前は発見することの出来なかった新しい資料を発見しました。それがラジオNIKKEIの「清水研究員のアジアな日々」というブログです。ここで阪神大震災から14年目となる2009年1月17日付けの記事(http://blog.radionikkei.jp/shimizu/entry-161935.html)に以下のような記述がありました。

阪神大震災から14年も、懲りないセンセイ
2009/1/17(土) 22:46 投稿:清水研究員

 今日で、あの阪神大震災から14年ですか。あの地震でエライ目に逢ったにもかかわらず、今、ワイの命があるのは、住んでいたアパートが頑丈な軽量鉄骨製であったからだと思います。

 そのあたりのことは何度も書きましたので、今回は割愛します。でも、ちょっと前に閉村式を行った日比谷派遣村に集まっていた人々と、阪神大震災での被災者たちに対する報道に、非常に似通った構図を感じ、気になりました。

 あるニュースサイトに、「辻元清美鈴木宗男とがっちり握手。」なんぞと載ってましたので、ウソやろ?と思い、そのサイトを開けてみますと、ホンマに日比谷の派遣村で二人が固く握手している写真がありました。(YouTubeにもアップされてます。)

 二人は握手だけで、勿論、アダルトビデオみたいなプレイには発展してませんでしたが、たしか辻元清美氏は、全国中継の国会で、「アンタは疑惑の総合商社」とか、「ド忘れ禁止法を適用してやる」とか、ボロクソに鈴木氏を罵りまくっていた筈。その辻元氏に罵倒されまくりであった鈴木宗男氏は、派遣村の集会では永田町方面を指差しながら、なにやら激烈な政府批判のアジテーションを展開しておられました。

 鈴木宗男氏のアジテーションに大いに賛同されているのか、辻元氏以外にも共産党の志位氏や、社民党の福島氏、民主党の管氏ら、所謂、野党の大物たちがキラ星の如く列席されておられました。
 然し、派遣村で激烈なアジテーションを展開する錚錚たる政治家たちと、黙々とその演説を聞く職を失った人々の光景は、阪神大震災時に君臨していた押しかけ市民団体&ボランティアの連中と被災者たちの構図と、余りにもソックリであるようにワイには見えたのです。

 あのとき、着の身着のままで寒空の下に放り出された敗残兵みたいなワテら被災者は、暖かそうなファッションで、自分の愛に陶酔なされていた市民運動家(どういう訳か貴重な食料を管理なされてました)やボランティアの方々が大層、眩しく見えました。一方、派遣村に群れ集った野党政治家のメンメンも、みなさん、派遣村の人々とは全く対照的なイデタチに感じられました。

 その動画を一覧したワイは、これは、派遣村の人々に対する救済集会などではなく、新たな勝ち組を目指すセンセイ方による、現・勝ち組へのプレゼンテーションなのでは?と錯覚したほどです。

 阪神大震災のとき、そのヒーローぶりを報道されていた市民団体の中には、なんと、救援食料や医療品の代わりに、重たい印刷機をわざわざ船で持ち込んだ連中もおりました。ワイの知人の話しでは、彼らが電気・ガス・水道のインフラが断たれた現地で、ご苦労にも何を印刷したかと申しますと、呆れたことに「自衛隊からの救援食料はもらわないように」という、政治的な内容のビラであったとのことです。(後略)

ここでキーワードである「自衛隊からの救援食料はもらわないように」が登場してきました。しかし、文脈をよく読むと、これは辻元氏または彼女の主催するピースボートのメッセージだとは書かれていません。そういう政治的主張を行った「市民団体」があったと書かれているだけです。

清水研究員氏は派遣村関連ニュースを見る中で、辻元氏と鈴木宗男氏の言動を通じて派遣村阪神大震災に共通する市民運動家の行動に言及しています。その一例がある「市民団体」の振る舞いでした。もちろん、この市民団体が実在したのかどうかは分かりません。しかし、重要なのはこの時点ではこの「市民団体」と辻元氏あるいはピースボートは結び付けられていないということです。

※ これについては「重たい印刷機をわざわざ船で持ち込んだ連中」という記述からピースボートを念頭に置いたものだと言えるかもしれません(3/17追記)

一年前のエントリーでは辻元コピペの初出は2009年2月18日だと書きました。確かに、辻元氏と「自衛隊〜」発言を結びつける書き込みはそれが初出のようですが、このブログ記事はそれよりも一ヶ月さかのぼる記録ということになります。

もしかすると、最初の書き込みをした982氏(id:sBzbN1GP)にメールをしたのは、この記事を読んだ人だったのかもしれません。あるいは982氏がこの記事を見て勘違いして書き込んだのかもしれません。

というわけで、補足は以上です。

繰り返しになりますが、私はあくまでも以上の状況証拠からこの件を「デマ」である可能性が限りなく高いと判断しています。ただ、これを覆すのは簡単です。「自衛隊〜」と呼びかけるビラの実物が出てくれば簡単に反証できることです。そして、そのビラはある場所に行けば全て読むことができるそうです。私はそこまで確認する暇はありませんが、どうしても検証したい方がいれば、そういう方法もあるということです。もし結果が分かったら是非教えてください。証拠が見つかればこのエントリーを訂正することもやぶさかではありません。


さらに追記があります(2011/3/18)